若妻の突然の失踪(行方不明者捜索発見事例)
緻密な調査で運良く発見した事例です。
■依頼者様
夫(以後Kさんと呼称)と夫の実姉
■捜索対象者
K氏の妻(以後R子さんと呼称)
■家出の状況
3日前、突然、失踪した25歳の主婦のR子さん。2歳と4歳の幼子を残しての覚悟の家出でした。
突発的に家を出たのではなく、事前に準備した上での家出でした。
27歳の若いご主人は、夜勤もある大手のメーカー工場に勤務するまじめな職工さんです。
2人目の男の子が生まれてからは家計も厳しくなり、外食したり遊びに出る事もめっきり少なくなってストレスが溜まる一方になってしまったそうです。
そんな毎日がずーっと続くと、そのうちにささいな事で口論するようになり始め、それが次第にエスカレートしてついには言い争いだけで収まらず、妻に手を上げるようになったそうです。
暴力行為が原因でR子さんが友人宅に家出(子どもを連れて)した事が、過去に2回あったそうです。
二回目の家出から戻った先月の終わりごろから、家事・育児が投げやりになっているように思い、それを注意したら、この2~3週間まともに口を聞く事がなくなってしまったので、姉に相談しようと思っていた矢先の事だったとの事でした。
家出を伝える書置きがあり、それを見させてもらいました。
「もう、疲れました。Kちゃんとはもうダメです。心がどうしても通わなくなりました。子どもはしばらく大変だろうけど、Kちゃんにまかせます。離婚届けをおいていきますから、Kちゃんから役場に出してください。子どもたちをお願いします。落ち着いたら連絡しますから、捜さないでください。」とありました。
3日前、Kさんが夜勤明けで朝8時頃に戻ってくると、子どもたちが泣き叫んでいました。
書置きを見つけすぐにお姉さん夫婦に連絡をとり、それから考えられるところ、全てに手分けして電話をかけまくりましたが、全く手がかりはなかったそうです。
R子さんの友人たちも心配してあちこち捜してくれているのだそうですが、手がかりとなるものは全くない状況との事でした。
小さな子どもたちの為にも早く見つけ出して話し合いを行い、原因の根本的解決を図りたい。
その為には行方探しの専門家にお願いして見つけ出してもらうしかないと姉の知人から勧められた当社を頼り、相談にこられたという経緯でした。
■捜索期間/人員
着手前の手がかり情報の取得 10日間(依頼者様の手配)
データの絞込みと関与者の絞込み 3日間
一次調査関与者の特殊情報調査 10日間
聞き込み・直聴調査 計7日間
二次調査行方エリアの絞込み 3日間
発見後の監視調査 2日間
交渉及びフォロー対応 計5日間
一次調査2名(聞き込み調査3日間のみ3名)
二次調査1名(監視調査時のみ2名)
■調査概要
調査着手前、まず失踪したR子さんの携帯の「発信・着手履歴(料金明細)」を電話会社から取り寄せるようお願いしました。
今日が幸いにも電話料金の計算締日である月末に近い27日であったので、月が替わっての一日に手続きをしていただければ、今月分を含めて三か月分の履歴明細が約7日~10日くらいで手元に届くからです。
(運が悪く、月の半ばであると、一番重要な失踪二週間前の履歴情報が入手できるまで3週間以上を費やしてしまい、効率のよい調査着手が出来なくなってしまいます。)
調査のご依頼時では、R子さんの行方を捜す情報は全くない状況でしたので、唯一の手がかりとなるかもしれない、携帯電話の履歴情報を依頼人様が入手するまで、気が急くものの、やみくもに調査に着手せず『待つ』っていただきました。
それから8日後、携帯の通話及びメールの通話履歴を持って依頼人のお姉さんが再来社され、本格的な調査に着手しました。
R子さんのメール明細では、なんと2ヶ月位前から急にいろんなメル友が増え、失踪前2週間は、1日に少なくとも50回以上のメール履歴があり、通話もいくつかの電話番号に何回も履歴が残されていました。
それにより、失踪前2週間の間でメールと通話の両方で、かなりの頻度があった番号を7台抽出し、直接、電話をして聞き込み調査を行い、R子さんの失踪に関与している人物かどうかの判断を下しました。
通話を録音し、何度も聞きなおしての判断を行います。
妻の失踪自分の住所を素直に教えてくれた人物が2名(二名とも男性)。
岡山市と下関市在住。
後に、事前に訪問日を約束して直接面談しました。
メール内容を確認し、関与者でないと断定。
R子さんから何らかのメールがあれば情報の取得を依頼し、謝礼を渡しました。
電話での話は協力的であったが、自分の住所を明らかにする事は拒んだ人物が2名。
1人は福岡市のみ明かし、もう1人は住所は教えたくないとの事。
但し、再三に渡る説得と協力依頼の交渉により、上記二名とも最終的には住所を明らかにしてくれました。
もう1人は松山市でした。
この2名も後日直接面会し、関与者でないと断定しました。(二名とも既婚者)
残る三名に関しては、話すら拒否され、全く非協力的な態度の人物が三名となってしまいました。
やむなく根気よく資料分析や資料検索により、三名とも住所が判明し、直接、事前のアポイントメントをとらず訪問となりました。(神戸市・小倉市・下関市)
怒りを顕にし激昂した人物が一名。(神戸市)
既婚者(40歳代)で家庭もちであった事から除外。
驚いた反応を見せましたが、こちらの丁寧な接し方で安心したのか、協力的になりメールを見せてくれ、関与者でないと判断しました。
(小倉市)20代サラリーマン男性
寿司店の住所になっていた為、なかなか本人をキャッチできませんでしたが、粘ってようやく面会にこぎつけたところ、いきなり「彼女はもうここにはいない。」という言葉が出てきた為、深夜営業のファミリーレストランに場所を移し、事情を聴取しました。
(下関市)30代調理師・寿司店勤務)
「二月前に家をどうしても出たいという話があり、度々メールでこちらに仕事がないかと相談を受けていた。もちろん、家出には最初、反対のメールをしていた。しかし、あまりにダンナの暴力が激しいというので、もし、家を出て、仕事を捜すならその時は協力してあげるという形の相談になってしまった。しばらくして家を出るので、いつからなら泊めてもらえるかという電話があり、2~3日後なら一週間位泊めてあげると返事したところ、翌々日にやってきた。旅行用の大型スーツケース一個だけでデニム地の上下というラフなスタイルだった。彼女に部屋を貸して自分は店の部屋で寝るようにした。やましい関係は全くない。五日後に仕事が決まったと連絡があり、九州に行く事になったとだけ聞いた。僕も詳しい話はあえて聞かなかったので、仕事先は知らない。二日後彼女が出て行ってからは三度メールが来たが居場所とか仕事内容には全く触れていなかったのでわからない。」
※彼女とのメールが保存されていたので見せてもらったところ、確かに手がかりとなるような表現はありませんでした。
話の中で唯一の手がかりとして、彼女が住み込みの仕事を探していたという事。
また、近い将来、子どもを引き取りたいので、高収入の仕事を探している。
といっていたというので、「旅館の仲居さん」「風俗業」に捜索の的を絞ることにしました。
R子さんが決めた仕事先。
その業種とエリアを特定すべく、今まで取得した様々な情報を徹底的に検証しました。
下関市の寿司職人M氏の情報・・・「九州へ行く」とR子さんが言った。
※M氏の話を100%鵜呑みに出来ないが、重要情報として採用しました。
R子さんが選択した仕事として、彼女の言葉から早急にまとまった資金を作りたいという事から、身元保証人が必要な『仲居』さんは、資金作りからも難点があり、風俗業を選んだ可能性が高く、九州エリアの歓楽街を対象として考えることとしました。
M氏宅に身を寄せて風俗業の仕事を捜したのであれば、直接面接を受けたはずであり、下関から比較的交通の便利なところと仮定できるので、下関・門司・小倉・福岡と捜索エリアを決定しました。
上記四都市の風俗業の情報誌やインターネットでの新人紹介コーナー、その他の情報を取得し、下関から順に根気よく営業店舗を直接訪問し、聞き込み調査を行いました。
上記4の聞き込み調査7日目、小倉の風俗抽出店舗14軒目にして、R子さんが勤務している店舗が見つかりました。
昼2時過ぎにその”J”という店を訪ね、女性の紹介カードを見ていくと、髪型と赤茶色の髪の色が変わっているものの、R子さんに酷似した女性を見つけました。
紹介欄には入店したての新人とあり、身長もほぼ合致しており、ほぼ間違いないと断定しました。
理由をつけて店の外へ出た調査員からの報告で、さっそく依頼人のお姉さんに連絡を取り、依頼人Kさんに発見の報を知らせてもらいました。
KさんとKさんのお姉さんが仕事を半休し、急遽夕方の6時過ぎの新幹線に乗り、8時前に小倉で調査員と落ち合う事ができました。
3人で”J”という店に着き、調査員がまず店に入り、店長さんに面会し、理由を話したところ、店長もR子さんに間違いない事をすぐに認めてくれました。
Kさんとお姉さんも事務所に入らせてもらい、Kさん側の経緯を話したところ、店長さんは「自分が彼女から聞いている話と随分違っている。今は仕事の時間だし、落ち着いた頃に彼女に話をしてみるが、彼女がすぐに会う気持ちにならないのではないか。自分が話をするので、今は一旦店から外へ出てどこかで待っていてほしい。どちらにせよ、このまま話し合いもしないという訳にはいかんと思う。そこは私も責任を持って話し合いの場が持てるようにするので、私を信じて待ってほしい。」
という話になり、3人は一旦店を出て店長さんからの連絡を待つ事にしました。
それから3時間後の深夜12時頃、店長さんから電話が入りました。
「R子さんの気持ちの動揺が激しく、今すぐには難しいので、明日のお昼12時くらいにどこか場所をとってくれれば彼女を私が連れて行くようにしたいが、どうだろうか?」という内容でした。
翌日、小倉駅前のホテルで話し合いが出来る部屋を取り、祈るような気持ちで待ちました。
約束どおり、店長さんがR子さんを連れてやってきました。
R子さんが失踪して短時間の月日ですが、私たちがもらっていたR子さんの写真と違い、垢抜けてぐっと大人びたR子さんの姿がそこにありました。
妻の失踪話し合いは午後12時過ぎから始まり、約5時間に及びました。当初は感情のぶつけ合いから始まりましたが、店長さんが間に割って入り、その後、今後どうするのか。どうしたいのか。を相方が本心の気持ちを伝えました。その結果、急速に今後の方向性がまとまっていきました。
R子さんの気持ちが落ち着くまで、Kさんはじっと待ち続ける。
気持ちが落ち着いたらR子さんは、小倉を引き払い広島に戻り、初心に戻って相互に新たな家庭が築けるように努力する。
R子さんが広島に戻る際に、Kさんは二つの条件を守ること。
『絶対に暴力は振るわない』
『育児も最小限手伝う』
もし、二つの条件が守られなければ、Kさんは離婚に同意し、子どもの親権をR子さんにし、子どもをR子さんに引き渡す事に同意する。(今ここで一筆を書く。)
同居しても、再び夫婦の絆が回復せず離婚を考えるようになった場合、R子さんは勝手に家を出ない。
必ず話し合うこととして、その際は店長さんがR子さんの相談役を担う事とする。
以上の話し合いの結論を得て、Kさんとお姉さんと調査員の3名は広島の途につきました。
この話し合いのときにKさんから聞いた話で忘れられないR子さんの言葉がありました。
「貴方がお金を掛けてまで私を捜すとは思わなかった。それを店長さんから聞いた時、本当に驚いた。でも嬉しかった。だから戻れるような気持ちになった。」
調査スタッフは本当に見つけられて良かった。と思ったそうです。
■調査所見
約一週間後、R子さんは広島に戻ってきました。
しかしながらR子さんとKさんの絆の回復は結局、元に戻らず、二人の生活は半年しか続かなかったのです。
決してKさんが暴力を振るった訳でもありません。
真面目なKさんが、妻が風俗店で働いたという溝を埋められなかったのが一因でした。
もちろんそれだけが全ての要因ではないのですが……。
子どもさんが離れ離れになってしまう道を夫婦は選択し、下のお子さんをR子さんが養育することで2人は同意したとの事でした。
養育費は下のお子さんが中学校を卒業するまで月額3万円をKさんが負担することで、正式に協議離婚をされたそうです。
ちなみにR子さんは店長さんを頼り、小倉に再び移り住むこととなりました。
小倉に戻る際にR子さんは店長さんにお金を借りて、Kさんのお姉さんに、Kさんが借りた100万円を手渡して家を出たそうです。