統合失調症のひろば寄稿「銀色の部屋」

日本評論社『統合失調症のひろば』に寄稿した記事の原文です

タイトル:銀色の部屋

「集団ストーカーに命を狙われとるんじゃけど、その証拠を掴んでほしいんよ。ちょっと来てくれんかね」

電話の主は年配の女性だった。
突拍子もない電話に思うかもしれないが、弊社にはこの類の相談が月に数件はあるので、特段の驚きはない。弊社に限ったことではなく、『探偵社』には精神病と思われる方からの相談は昔から多いのだ。探偵社ならどんなトラブルでも解決してくれると思うのだろう。
普通は精神障害者からの相談は相手にしない。売り上げに繋がらないし、ヘタに関わるとトラブルに発展する可能性だってある。しかし、悪質な探偵社の中には、資力がある精神障害者をカモにしている輩がいる。そのような被害を目の当たりにしてからは、弊社ではできる限り対応をして、悪質な探偵社に電話をしないように食い止めている。

訪ねたのは綺麗なアパートだった。104号室と聞いていたが、部屋番号を確認しなくても女性が住む部屋はすぐに分かった。このアパートの玄関ドアの色はどれも青色だが、一部屋だけが『銀色』になっていたからだ。
近づいて見るとドアの全面に銀紙が貼られており、ところどころ剥がれかけた銀紙の下から青色のドアが見えて、なんとも異様な雰囲気を出していた。
天井に設置された2台の防犯カメラは訪問客を拒むかのようにこちらを睨んでいる。

意を決してドアチャイムを押すと、ドアが僅かに開き、すき間から長い白髪を後ろに束ねた女性がじっとこちらを見ていた。声を潜めて「お電話いただいた探偵社の者ですが」と名乗ると、ドアを大きく開いて中に招いてくれた。
会釈をして中に入ろうとしたが、玄関先で立ち尽くしてしまった。眼前には見たことのない光景が展開されていたからだ。

部屋の中は銀色の世界だった。床も壁も家具もあらゆるものが銀色で覆われていた。
「はよ、鍵を閉めて入りんさい」と女性に促されたので、恐る恐る玄関の鍵を掛けて中に上がらせてもらった。床に敷かれているのはどうやらアルミの保温シートのようだ。壁や家具にはアルミホイルが貼られていた。
案内された和室もすっかり銀色に染められて、部屋の真ん中に置かれた銀色のテーブルの上にはパソコンが3台鎮座していた。モニターには株のチャートが表示されていたので、女性が株のトレーダーだと推察できた。

その女性(以下、Aさんと呼称)の相談内容は、以下の内容だった。
・数年前からある組織に命を狙われおり、ストーカー行為を受けている。
・その組織には大勢の尾行者がおり、Aさんの行く先々で待ち構えている。
・その組織はAさんを苦しめるために電磁波攻撃を仕掛けてくる。
・電磁波攻撃のせいで最近は全く眠ることができない。
・電磁波の攻撃は銀色で跳ね返せる。
・何度か警察に相談したが「証拠がないと何もできない」と取り合ってくれない。
・証拠が必要なので探偵社に相談することにした。

「ストーカーをしとる奴らはようけおるんよ!見てみんさい!」Aさんは興奮気味にまくしたて、パソコンのフォルダをクリックした。モニターには老若男女たくさんの人物の写真が映し出された。どの人物も訝しげなまなざしをしており、睨みつけていたり顔を逸らしたりと、どれも一様に迷惑そうな表情をしていた。

「こんなにたくさんの人達がAさんにストーカー行為をしているのですか?」

「ほうよ!外に出るときはいっつもストーカーに追われとる。さっきもスーパーに行ったらおったんよ!じゃけ、カメラでそいつらの顔を証拠として撮ってやっとるんよ!」と、言いながらAさんは唐突に着ていた上着のポケットから金槌を取り出し、「殺される前にやっちゃるんじゃけ!」と声を荒げて、パソコンのモニターを叩くふりをした。
「警察はストーカー行為をしとる証拠が無いと逮捕できんのじゃて。でもあいつらはうまくやりようるけぇ、防犯カメラにも全然映らんのんよ。じゃけぇ、おたくの方でその証拠を掴んで欲しいんよ!」

普段から金槌を持ち歩いているのか…今までトラブルはなかったのだろうか…
とりえあえず被害状況などを聞き出しながら、Aさんの家族や生活環境を把握することにした。

Aさんは4年前に離婚をしており、現在はこのアパートに一人暮らしをしている。離婚の原因が精神的な病気のせいなのは今となっては分からないが。
両親はすでに亡くなっており、残された遺産で生活をしているとのことだった。
それと娘さんが一人おり、6年前に嫁いで、現在は車で10分ほどの場所に住んでいる。
Aさんの年齢は50歳代後半。化粧気がなく白髪のせいか、見た目は実年齢よりずいぶん老けて見える。
株のデイトレード歴は長いらしい。

娘さんはこの状況を知っているのだろうか。

「Aさんが受けている被害の状況は娘さんにも相談されておられますか?」
「娘?娘は関係ないよ!」Aさんは語気を荒げて首を横に振った。

Aさんの話では娘さんとは仲の良い親子で、結婚した後も子供を連れてよく遊びに来ていた。
集団ストーカーの被害を娘さんに相談したらしいが、「気のせいよ」と、本気にしてくれなかったようだ。それでもしつこく言ってくるので嫌気が差したのであろう、「お母さんは精神病なんよ」を嘲罵を浴びせてきたらしい。
その言葉にAさんは憤激し、娘さんにも徐々に心を開かなくなり、ある日喧嘩をして「もう二度と来るな!」と娘さんを拒絶してしまった。それ以降は絶縁状況となり、この数年は親戚付き合いさえも皆無となり、他に頼れる人もいない。

しばらく話しこんでいると、突然Aさんが「痛っ!」と右頬を手で押さえ悲鳴を上げた。そして外に向かって「分かっとるんじゃけぇの!!」大声で叫んだ。どうやら電磁波の攻撃を受けたようだ。
銀色の部屋でも攻撃を受けるのかと聞こうとしたが無意味なので止めた。

「ねぇ、Aさん、電磁波攻撃で眠れていないとのことでしたが、ゆっくり眠れるようにメンタルクリニックで睡眠導入剤とか処方してもらうのはどうですかね?」
「いやよ!あんなところに行ったら精神病扱いされるけぇ!」と絶叫した。

一通りAさんが受けているストーカー被害や生活環境を聞きだし、「では、後日に調査方法をご提案いたしますね」と伝え、アパートを後にした。

Aさんが何らかの精神的な病気を抱えてるのは間違いない。放っておいて良い状況にも思えない。
しかし、本人に病識はないので、自らの意思で精神科病院や心療内科を受診することはないだろう。かと言って、家族でもない探偵が無理やり連れて行くわけにもいかない。

「人権を尊重」という大きな壁がある。
以前に精神科病院に相談をしたことがあるが、家族でもない者からの要請で訪問して本人を病院にお連れすることはできないと言われた。家族から要請があっても「人権」という観点から無理やりの移送はなかなか難しいようだ。

県の保健センターにも相談したことがあるが、本人が保健センターの助けを希望されていないのに訪問するのは難しいとのことだった。保健センターの指導係なり医師なりを本人が受け入れるよう誰かが説得しなければ、例え職員さんが訪問しても、Aさんが「あんた何の用ね?誰があんたを呼んだん?勝手に来るな!」と拒否してしまうと、もう二度と訪問することはできないし、それから病院に繋げるのは困難だろう。

人権の壁があっても、関わった者の責任として、医療に繋げるまではAさんを放っておくわけにはいかない。

僕が説得して病院に連れて行くより、娘さんから説得してもらう方が早いだろう。
ただ、娘さんの連絡先をAさんがすんなり教えてくれるとは思えない。
こちとら人探しのプロである。ヒントさえあれば現住所を突き止めることができるだろう。
Aさんの家には何かしら家族に繋がる手掛かりがあるはずである。まずはそれを探し出すことにした。

調査員を一人同行させて、再びAさんのアパートを訪ねた。
玄関先でホワイドボードに『部屋の中に盗聴器が仕掛けられているといけないので、今日は盗聴器の捜索をします。』と書くと、Aさんはドアのすき間から深く頷き納得した表情を見せて、玄関ドアを大きく開けて招いてくれた。

広帯域受信機を片手に捜索を開始した。
盗聴電波の捜索は調査員に任せて、僕は目視で盗聴器を探すふりをしながら、家族の連絡先に関するものがないか探した。

お風呂場も捜索しようとドアを開けると、浴槽も洗い場も濁ったガラスの瓶で埋め尽くされていた。よく見ると野菜が漬けられていた。漬物を作っているのだろうか…?これでは身体は洗えない。Aさんから異臭がするのはこのためかと合点がいった。

一通り捜索が終わると、「盗聴器は取り付けられていませんでしたよ。安心してください」と報告した。固唾を呑んで見守っていたAさんはおおきく息をついて、「ほんま?じゃあ安心じゃわ」と喜んでくれた。当たり前だが、盗聴器を捜索するときは調査が終わるまで依頼者とは筆談でやりとりをして一言も声を発することはない。

盗聴器が無かったことに安堵したAさんは我々にペットボトルのお茶を振る舞ってくれた。
このタイミングを逃すまいと、捜索中に押入れで見つけた数冊のフォトブックと箱に入った写真の束を指さし、Aさんにこの写真を見てもよいかと尋ねた。「写真?ええよ、見んさい」と、機嫌を損ねることもなく応じてくれた。

大量にある写真の中から娘さんと思われる女性とその旦那さんやお孫さんと思われる女の子の写真を見つけ出した。「お孫さん可愛いですね」と話しかけると、隣に座って見ていたAさんも柔和な笑顔となって、写真を撮影したときの状況を詳しく聞かせてくれた。
写真の中に娘さんの住所地の手掛かりとなるヒントを見つけ出した。これだったら探し出せるかも。手掛かりをこっそりスマホにメモした。

二日後、娘さんの現住所は簡単に探し出すことができた。調査手法は企業秘密とさせていただく。
早速割り出した住所地に向かってみるとAさんから聞いていた通り、車で10分ほどの一軒家で、玄関先には一家全員の名前が記してある可愛い郵便受けが確認できた。

その郵便受けに娘さん宛ての手紙を投函した。
『Aさんの現状、精神的な病気の可能性が高いこと、病院に連れていくためにはご家族の協力が必要なこと』一度お話がしたいと、こちらの連絡先を記して。

月曜日に手紙を投函して金曜日になり音沙汰もないので、諦めかけていたとき、娘さんから電話をいただいた。ご主人と一緒にこちらに伺いたいと。
翌日、娘さんとご主人が緊張した面持ちで事務所に来られた。
娘さんも母親が何らかの精神病を患っているというのは頭では理解していたが、感情ではその事実を認めたくなかったようだ。

「僕はただの探偵なんで、精神病かどうか断言できませんが、まずは今からでも一度お母さまと会われてみては?」と面会を促した。
「それと、お母さまが現実的ではない話をしても否定せず、辛抱強く聞いてあげてください。お母さまが言っているのではなく、病気に言わされていると思ってください。いきなり精神科病院に行こうと言うと拒絶されるでしょうから、しばらくは話を聞いてあげるだけで良いと思います」

娘さんとご主人はその足でAさんに会いに行くことを決意された。母親の好物のお菓子を携えて。

数時間後、娘さんから連絡をいただいた。
「母も初めは驚いていましたが、歓迎してくれたので安心しました。今度は子供達も連れて行こうと思います。でも、予想以上に悪化していることも分かりました…これからどうしたら良いですか?」

「焦っても仕方がないので、タイミングを見計らってなんとか一度受診してもらうようにもっていきましょう」

まずは娘さん一人が精神科病院に相談に行ってみるようにと、Aさん宅から近くて他の依頼者さんからも評判の良い精神科病院を教えてあげた。
それ以降は、娘さんはパート終わると毎日のようにAさんを訪ねては献身的に話を聞いてあげていた。

僕もときどきAさんのアパートを訪ねていた。
娘さんとの関係は改善されてきたが、相変わらず集団ストーカーの被害と電磁波の攻撃が続くと訴えており、眠れていない様子だったので。
Aさんには「うちの調査員がAさんに危険がないか見守っているので、安心してください。証拠の件も大丈夫ですから」と嘘の報告をして気持ちを落ち着かせた。こちらが何もしないと思われると、悪質な探偵社に相談をしてしまい、騙される可能性があるからだ。

ある日、Aさんは憔悴した目で「眠れなくて死にたい」と娘さんに弱音を吐いた。
余程辛いのであろう、「じゃあ、病院で睡眠導入剤を貰いに行ってみる?眠れるようになるよ」という娘さんの提案を素直に聞き入れた。あれほど行きたがらなかった精神科病院に行っても良いというのだ。

「母は医療保護入院となりました」と、報告をくれた娘さんの声は安堵した感じだった。

これからもご家族は大変な苦労もあるだろう。良い形で回復することを祈るのみである。
Aさんのためになったのか、ご家族の役に立ったのか、まだその答えは出ないが、治療に繋がる道筋はできたと信じたい。